錦帯橋と佐々木小次郎の奇妙な関係【367杯目】

昨日の続きです。佐々木小次郎と岩国市には奇妙な関係があるというのです。
左の写真は錦帯橋近辺にある佐々木小次郎の像です。

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「なぜ佐々木小次郎の像が?」
答は簡単。
かの有名な「燕返し」は錦帯橋そばの柳の木の下で編出した!とされているのです。
とはいっても吉川英治氏の小説「宮本武蔵」の中での話(読んだことないですが)
残念ながら史実とは異なるようです。
小次郎が没したのは1612年、錦帯橋ができたのが1673年です。
どう考えても無理ですよね。

もっとも、小次郎の生没年には諸説あります。(没年は巌流島の決戦1612年と同年です)
武蔵と戦ったときには20代だったとか、いやいや60代だったとか。
長髪の美少年のイメージはまさに先に書いた小説の中のイメージ。
どうやら老人説のほうが正しいようですぞ。

というのが、小次郎はもともと九州の生まれで、地元で剣の師範をしていたとか。
それも20代説から逆算すると、師範をしていたのは10歳くらいになるんだとか。
こりゃ、ありえません。
いろいろ調べると面白いことがあるのですが、このページは小次郎HPではありませんので、この辺で。

来年の大河ドラマ「MUSASHI」の中では、燕返しを編出すのは石川県のほうにするんだとか。
これも史実とは違うという説がありますが、そんなことはどうでもいいです。
岩国市も観光客誘致のためにいろいろPRを考えているようですから、ぜひ岩国観光においでませ。

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