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蔵元だより

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其の72 幻想的な篝火で美酒に酔う

 花火、風鈴、高校野球、盆踊り、夏の風物詩はいくつかありますが、忘れてならないのがこれ。鵜飼(うかい)です。鵜飼は、鵜を使って鮎を獲る伝統的な漁法のひとつで、特に長良川の鵜飼いが有名です。テレビなどでご覧になられたことがある方も少なくないことでしょう。
 鵜飼の歴史は古く、『日本書紀』神武天皇の条に「梁を作つて魚を取る者有り、天皇これを問ふ。対へて曰く、臣はこれ苞苴擔(ほうしょたん)の子と、此れ即ち阿太の養鵜部(うかいべ)の始祖なり」と。また、『古事記』にも鵜飼のことを歌った歌が載っています。鵜飼漁をする人を鵜匠(うしょう)と呼びます。その装束は風折烏帽子(かざおれえぼし)、漁服、胸あて、腰蓑という古式ゆかしいものとなっています。

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 鵜飼の漁法には ①船鵜飼(ふねうかい)鵜匠が船に乗って鵜を操る漁法、②徒歩鵜飼(かちうかい)鵜匠が一羽ないし二羽の鵜を浅瀬で操って獲る漁法、③放し鵜飼(はなしうかい)鵜匠が鵜に手縄(たなわ)をつけず、声を出して操る漁法の三つがあります。鵜飼は鮎漁の解禁日にあわせて始まることが多く、一般的には初夏から初秋にかけて行われるのがほとんどです。
 鵜飼漁で獲れる鮎には傷がつかず、鵜の食道で一瞬にして気絶させるために鮮度が非常に良いのが特徴とされます。このため、鵜飼鮎は献上品として珍重され、安土桃山時代以降は幕府や地方の大名によって鵜飼が保護されたという歴史があります。
 例えば、織田信長は長良川鵜飼の鵜匠にそれぞれ名称を授け、鷹匠と同様に遇し一戸に禄米10俵ずつを与えたとの記録がありますし、徳川家康は鵜飼を見物し石焼きの鮎に感動、以来、江戸城に毎年鮎を献上するのが恒例となったとあります。しかし、鵜飼は決して効率の良い漁法ではないため、明治維新後に大名らの後援を失った鵜飼は全国から次々と姿を消すこととなりました。現在では全国13ヶ所で行われるのみとなっています。また現在の鵜飼は、生計の維持のための漁ではなく観光事業として、また無形文化財の保護・継承という目的で行われているのがほとんどのようです。
 この鵜飼、発祥はどうやら日本のようで、中国の史書『隋書』に、日本を訪れた隋使が見た変わった漁法として紹介されているそうです。その後、中国においても鵜飼漁法が定着しました。ただ、「所変われば品変わる」で、日本では鵜飼にウミウを使うのに対し、中国ではカワウを使用しています。また、日本の鵜飼は様式化して残っているため、捕獲する魚はほぼ鮎に限定されますが、中国では鵜が捕れるサイズのありとあらゆる魚を捕るのだとか。
 ヨーロッパにおいても鵜飼が行われたという記録があります。16世紀末から17世紀初めにかけて、鵜飼がスポーツとしてイギリスとフランスの宮廷を中心に広まったとのことです。ただこれは、鷹狩りの延長として行われたということのようで、ヨーロッパの鵜飼いは漁としての生活の生業ではなく、あくまで貴族の遊びとしての要素が強かったようです。

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 この伝統的で、世界的にも歴史のある鵜飼の文化が岩国にもあります。錦帯橋が架かる錦川で行われる鵜飼です(錦帯橋鵜飼振興㈱が運営)。錦川の鵜飼の起源は古く、岩国藩主吉川広嘉公の時代(約370年前)に始まったとの説と、それ以前より行われていたとの説があります。一時期の中断の後、戦後の昭和21年に再開、現在へと至っています。
 錦帯橋の鵜飼は船鵜飼で、伝統的な船大工による平底の木造船を使用しています。船の舳先で篝火(かがりび)を焚き、光に集まってきた鮎を鵜に捕まえさせます。鵜ののどには紐が巻かれており、鵜匠が握る手縄(たなわ)とつながっています。この手縄で鵜を巧みに操るわけですが、この手縄は逆方向に捻るとすぐに切れる仕組みになっています。水中の障害物に鵜がかかってしまった場合に、手縄を切って鵜の命を助けるために、こんな特徴のある縄を使用しているのだそうです。
 名勝錦帯橋を背景に繰り広げられる幽玄な鵜飼の光景、鵜飼船の篝火や月光が照らす錦川の川面、しとしととそぼ降る雨の夜かかる霧の中の静けさ、人と自然と鵜が一体となって、古を今に伝えるのにふさわしい幻想的な風景がそこにはあります。脈々と受け続けられてきた伝統を感じながら、また喧騒を忘れ自然に溶け込みながら、杯を傾けるのもまた一興。今夏は鵜飼という伝統的な夏の風物詩に触れてみられるのはいかがでしょうか?

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日本酒の国の焼酎「酒粕取り焼酎 錦川」

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 「日本酒の国」の伝統的な焼酎といえば、酒粕取り焼酎です。しかし残念なことに、この伝統的な酒粕取り焼酎を製造する蔵元は多くありません。現代の食生活の大きな変化に伴い、強い個性を主張する酒粕取り焼酎は少しずつその居場所を失いつつあるようなのです。
 原料の風味を楽しむはずの乙類焼酎(単式蒸留焼酎)なのに、味も香りも控えめの、いわゆる「飲みやすい」ものにシフトしているというのが現実です。
 しかし、それでは文化が廃れます。伝統が継承されなくなります。弊社では「日本酒の国」の焼酎を守るべく、伝統的な製法による酒粕取り焼酎を数年前に復活させました。そして、米の力強さを思わせる癖のある野趣、土の香りまでも溶かし込んだような穀物らしい朴訥な個性、奔放な野性味を感じさせるどっしりした存在感を演出する焼酎が出来上がりました。
 日本酒の国の焼酎「酒粕取り焼酎 錦川」が持つ「自己主張」、「個性」、「存在感」はまさに、「これぞ本格焼酎」といった趣が封じ込められています。最近の淡白な焼酎に辟易している方にお試しいただきたい商品です。
 そんな硬派な「錦川」ですが、実はこの「錦川」にはちょっとした遊び心が加えられています。錦川といえば何でしょう?そうです。鮎です。川の流れをイメージさせるラベルの中に悠々と泳ぐ鮎一匹。見つけられますか?鵜の目鷹の目で、よ~く、目を凝らして探してみてください。酒席が盛り上がること請け合いの仕掛けもお楽しみいただきたいと思います。

 

 平成19酒造年度新酒鑑評会で金賞受賞
=山口県オリジナル酒米「西都の雫」で醸した大吟醸で=

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 平成20年5月20日に発表された「平成19酒造年度全国新酒鑑評会」において、弊社の大吟醸が見事金賞受賞の栄誉を賜りました。(直近5年間で4度目の受賞。中国地方においては最多。)
 今年度は957点の出品があり、金賞を受賞したのは255点。山口県では弊社を含め4場が金賞を受賞しております。(詳細は独立行政法人 酒類総合研究所のサイトをご覧ください。http://www.nrib.go.jp/) 受賞したのは、山口県が三年前に開発に成功した「西都の雫」という山口県オリジナルの酒米で醸した大吟醸酒。一昔前までは、いわゆるYK35(山田錦を35%精米をして、熊本酵母で醸す)神話というものがあり、金賞受賞のためにはそれが絶対条件とされていた向きもありましたが、山田錦以外の酒米を使用し、しかも精米歩合40%での快挙となりました。
 このことは弊社の技術力の高さを全国に示すとともに、「西都の雫」の酒造適性の高さをも証明することだと考えております。一昨年にも同じ「西都の雫」で金賞を受賞しており(昨年は惜しくも入賞)、現在の仲間杜氏体制に代わって、4期で3度の金賞受賞です。
 この結果に慢心することなく、これからも高品質の酒造りに努めますので、今後とも「清酒五橋」をよろしくお願いいたします。

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