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其の38 錦帯橋

日本には三奇橋と呼ばれる橋があります。猿橋、神橋(しんきょう)、そして岩国が誇る錦帯橋です。世界にも例をみないほど優美な木造橋、錦帯橋についてご紹介いたしましょう。  山口県下最大の清流錦川。岩国の城下町を二分するこの川はたびたび氾濫を起こし、幾度となく橋を流失させたそうです。住民にとって流れない橋つくりは悲願だったといえるでしょう。その彼岸が成就するのは江戸前期、岩国藩三代目藩主、吉川広嘉公の時です。

橋は全長約200メートル、幅5メートル、高さ最大で10メートル。創建当時はおそらく世界最大のスパン(約35メートル)を持っていたと推測されています。巻金とかすがいの使用を中心とした「組木」の技を最大限に活用し、洪水に耐えうる強固な石造りの橋脚には築城技術が取り入れられました。まさに技術の粋を尽くした橋だといえます。完成後は「五龍橋」、「城門橋」などと呼ばれ、「錦帯橋」の呼び名が定着したのは宝永年間(1704~)以後だとされています。

五連の反り橋のヒントになったのは、橋脚を持たない甲斐の猿橋、そして中国の禅僧独立(どくりゅう)が持参した「西湖遊覧誌」の中の点在する島伝いに架かる反り橋だといわれています。研究を重ね試行錯誤を繰り返し、錦帯今日(初代)が架けられたのは1673年(延宝元年)9月30日。起工したのが同年6月28日だということですから、完成までわずか3ヶ月。その早さには驚かされます。

しかし、翌年5月28日洪水のため流失。わずか8ヶ月の夢でした。が、広嘉公はこれに屈せず流失の原因を究明し、同年10月に再建(二代目)します。以後、1950年(昭和25年)9月14日のキジア台風で流失するまでの276年間不落(定期的、部分的な架け替えは行っています)を誇りました。

現錦帯橋は1953年(昭和28年)に再建された三代目です。しかしその美しさは広嘉公が創建したときと変わらず、再建時の工法も昔と同じだということです。錦帯橋は三奇橋の一つに数えられていますが、名橋と呼ぶにふさわしい芸術的建造物なのです。

<<<参考 日本三奇橋>>>

●錦帯橋(きんたいきょう)山口県岩国市 錦川にかかる世界でも珍しい木造式アーチ橋。巻金とかすがいの使用を中心とした「組木」の技術が妙。 ●猿橋(さるばし)山梨県大月市 相模川の支流、桂川に架かる。橋脚を使わずに桔木(はねぎ)を重ねた珍しい構造が特徴。 ●神橋(しんきょう)栃木県日光市 日光の大谷川(だいやがわ)の架かるアーチ橋。欄干の朱と橋桁の黒のコントラストが美しい。

「五橋」の酒名は錦帯橋から

いまさら言うまでもないことですが「五橋」の酒名は錦帯橋が五連のアーチ橋であることに由来しています。  錦帯橋の四季折々の華麗な姿は岩国の誇りです。清酒五橋はこの優美さに名を求め、「心と心の架け橋に」との思いを込めて命名されました。  五橋のキャッチフレーズは「心から心へ橋わたし」皆様の心に五橋の想いは届きますか?

錦帯橋 約半世紀ぶりの架け替え

昭和28年(1953)の再建以来、現錦帯橋は風雨にさらされており、木造建築物ゆえの腐朽がでているとの指摘がされるようになりました。これを受けて約半世紀ぶりの架け替えが行われることになりました。

工事期間は平成13年度~15年度の渇水期(冬期)。迂回路となる仮設橋が設けられるため、この期間中も渡橋が可能です。と同時に架橋工事や現橋の解体作業も見学できます。寄せ木細工のように木材を巧みに組み合わせた芸術的な五連のアーチ、匠の技術の神髄を垣間見るまたとないチャンス。 四代目錦帯橋の架け替えは平成13年11月1日より始まります。「名勝 錦帯橋」へぜひお越しください。 

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