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佐々木久子のお酒とつきあう方法

2008年5月28日(水)

吟醸酒の来た道―至高の味わいを生んだ究極の技

佐々木久子のお酒とつきあう法
佐々木久子
(鎌倉書房 1982/02)

山口の五橋(ごきょう)・酒井秀人

山口県は、明治維新を成功させた長州藩の伝統が根強く息づき、戦後も、岸信介、佐藤栄作の両首相を輩出している。いってみれば県民ぜんたいが政治ずきな気風の強い土地柄であるといえる。私の知る限り、お酒に酔えばカンカンガクガクと天下国家を論じ合う憂国の人たちが多い。

政治には異常な情熱をもやす山口県人だが、飲んだり食べたりの食文化には、かなり無頓着で、私のふるさと広島にくらべ、これはという銘酒がない。
山口県内には百軒余の醸造元があるのに、八十軒ばかりは千石たらずの小さな醸造家ばかりで、その大方は桶売りで灘や広島あたりに出荷している。
僅かに岩国の「五橋」「黒松」柳井の「旭寿」、新南陽の「寿」くらいが懸命の踏んばりをみせている。
なかでも「五橋」は、天下になりひびいた銘酒で、わざわざ特注して「五橋」をとりよせ愛飲している人が東京にも大阪にもいる。

「五橋」を醸す酒井酒造は、明治初年の創業である。

岩国市には、天下の名橋といわれる錦帯橋があり、その橋は五連の橋になっている。私は子供のころ、岩国のそろばん橋は……という“田はやし”唄をきいて育った。
錦帯橋周辺の桜はみごとなもので、広島から車をつらねてお花見に出かけ、そろばん橋を眺めて、その橋下を流れる清冽な錦川に舟をうかべたりしたものである。夏は、鵜飼の舟があかあかと火をたき鮎を追うなど、錦帯橋は四季を通じての観光名所で、日本酒とは切っても切れない縁につながっている。

四代目にあたる酒井秀人氏(大正四年生、旧制岩国中学卒)は、昭和二十八年に三代目の跡をついで三十七歳から家業についた。
当時、五橋には献身の酒造りをする久次杜氏がいた。熊毛の杜氏である久次杜氏は、吟醸酒造りにかけては山口随一という折紙のついた杜氏で、古いやり方に新しい技術をどんどんとりいれ、毎年のように中国地区の品評会で優勝していた。

私がはじめて五橋を訪ねたのは、もう二十年も前のことだが、その時、私は、酒井社長が杜氏で、久次杜氏が社長さんだと間違えてしまった。
それほど杜氏さんの方が威張るというより偉くみえたのである。
この蔵では、とにかく品質本位ということが第一義なのだから、酒造りに携わる杜氏さんが尊敬され、大切にされるのは当たり前だという。それがごく自然な感じで蔵内の雰囲気となっているのである。

酒蔵にあっては杜氏さんが絶対の力を持つ、いや、持たせてあげなければ、佳い酒はできない。

鏡川の伏流水は、稀にみる清浄な軟水である。この水によって、「五橋」は酒質が温雅でキメ細かなやわらかい甘口の酒になっている。
昭和五十一年、久次杜氏は引退され、一番弟子だった吉永達夫杜氏(昭和十年生)にバトンタッチされている。杜氏がかわると酒質が変わる、というのが私の持論である。が、事実、ここ五年ばかり、「五橋の味が変わったね」という声を耳にする。はっきりこう変わったとはいえないが、微妙な味のバランスが変化するのである。そこが、相手が生きている酵素や酵母なので、杜氏が変わることにつれて変わってゆく……。

酒井秀人氏は、地味にコツコツと酒質だけは、どこにも負けないよにと、心がけて誠実な商売をやって来た人である。
やがて五代目を継ぐ酒井佑氏(昭和十八年生、青山学院大学経済学部卒)と、吉永杜氏の若いコンビは、現在三千石という販売石数の「五橋」を、どうコントロールしてゆくのだろうか。

「五橋」も品不足で、注文をさばききれない、という人気銘柄の一つになっているのだ。家業と企業の谷間に立っている銘酒の一つとして注目したい。
 

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