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桶屋の挑戦

2008年5月28日(水)

桶屋の挑戦

桶屋の挑戦
加藤 薫
中公新書ラクレ(2008/2)

桶の注文と一緒に、若者が来た


久しく忘れ去られていた桶たちが、賑やかなスポットライトに一瞬、照らし出される。みんなに見つめられる。そんな一日が、楽しく終わった。

ところで桶屋の上芝には、以前から願いがあった。
「酒屋さんから桶の注文と一緒に、若い人も来てほしい」というのだ。
そして、一緒に桶をつくって、技術と一緒に、桶を酒蔵に持って帰ってほしい」という。
酒屋の若い人に、「桶屋になれ」というのではない。ただ、桶がどういう工程と原理でつくられるものかを、身をもって感じてほしい。そんな若者が酒蔵に一人いれば、桶の扱いは随分変わるだろう。桶を「使う」技術の種を、蒔いておきたいと願っていた。

そして二〇〇七年、夢は実現した。新桶の注文と一緒に、ほんとうに若者が来たのだ。
片山優一、酒の世界に入って二年目の二一歳。頭も身体も柔らかい「片山君」は、桶板の選定からはじまる大桶づくりのフルコースを、経験することになった。
「桶の竹箍って、桶に巻きつけながら編んで、最後にギューッとやるんかと思ってたんですよ。そしたら、逆かッ!みたいな(笑)。締めてからゴンと下ろすのを見て、ナルホドーと思いましたね」
およそ屈託のない、そしてよく見て動く「片山君」は、桶屋さんの世界によく馴染んだ。
そんな「片山君」を送りだしたのは、美しい五連の木造アーチ橋・錦帯橋で知られる山口県岩国市にある、酒井酒造の酒井佑社長。既に二〇〇五年から小さな古桶を修繕し、明治四年創業当時のレシピで醸したお酒を販売している。しかし六本木ヒルズでのあの桶イベントに参加して、酒だけでなく味噌や醤油、漬物まで拡がる桶の世界に感じ入り、新しい二〇石の大桶づくりをその場で決意。翌朝には材木屋さんに電話した。桶屋さんの長年の願いを小耳にはさむとそちらも快諾、そして実行に移したのだった。
そう、だからセーラが打ったあの桶イベントは、単なるお祭りには終わらなかった。酒屋から多様な味覚へと広がる桶の世界を提示して、人と人がつながる結び目になった。そんな縁にも支えられて、細くても「何かが残っていく線」を、堺の桶屋は引っぱり続けている。

酒井酒造の桶は、山口県の杉(に、やはり吉野材がちょっぴり足された材)でつくられた。桶が組まれる前の段階で、底板の正直(板と板がぴったり合わさる面)に、片山君は落書きを許された。筆ペンで控えめに、こうしたためた。
「桶師補助 片山優一 二一歳 昭和六十年生まれ 一九年七月吉祥日」
そうして底板は接ぎ合わされ、側板のアリに叩き込まれ、大きな新桶ができあがった。
「これで五〇年後、一〇〇年後のいつか、この桶がガサガサになって潰すとか、もう一回組み直すという話になったとき、『ああ、片山さんって人がおったなあ』となるわけよ」
この上ない上機嫌で、上芝がそう言った。
「『あの人、まだご存命かな』『いや、この間、もう亡くなりました』とか、なるわけ・・・・・・」
片山君は一瞬ビックリしてから、アハハッと笑った。まったく、桶屋さんも人が悪い。

ふと思った。そのとき桶の竹箍を切り、側板や底板の間に入れられた竹釘を抜くのは、誰だろう。将来の蔵人だろうか。解体業者だろうか。
桶屋であってほしい。そう思った。
昼間は派遣社員でも、解体業者と兼業でも、そんなことはどうでもいい。
その側板の正直を見て、箍の加減を見て、なかなかだなあとため息をついたり、これは何だと顔を近づけたり、この板は使えないとか、ブツブツ独り言を言う桶屋であってほしい。見た目ぼろぼろの板を大事そうにトラックの荷台にロープでくくり、特に落書きの部分など傷まぬように気をつけてボロボロの毛布を上にかけ、いそいそと持ち帰る。
いつかこの桶の正直を開くのは、そんな桶屋であってほしい。

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